2017年9月13日水曜日

2018年のざっくりした予定&サンカルパ

日本に腰を据えながら、世界を飛び回るぞ!

(2月までの予定はこちら
2月にリシケシ、コインバトールに滞在して、執筆やキャンプをした後、
3月上旬は、ウブドに2週間ほど滞在して、バリのヒンドゥー文化に触れながら、
ゆっくり独りで執筆に耽ろうと思っています。
バリのサンスクリット研究事情も大学等を訪問しで視察したいのですが、
どなたかご存知の方がいらっしゃれば、是非ご連絡ください。。

バリでも、サンスクリットの祈りチャンティングから、ヴェーダの教えを紐解くという内容で、
3日間くらいの日本語WSが出来れば、と思っています。
ウブドにて、ビーガン・レストランが近くにある、滞在やリトリートに適した場所を探しています。
お薦めの場所があれば、是非情報をご提供ください。

その後、ベトナムのフエ大学を訪問できれば、と思っています。

それから、台湾に少しだけ滞在し、素食事情と、将来勉強するのに良い場所があるかな~と視察しながら、サンスクリットを教える大学も訪問したいと思っています。
台湾の食べる場所(私は厳格なベジタリアンです)、泊まる場所などのおすすめ情報があれば、
是非ご連絡ください。

そして、3月下旬に日本へ再び帰国予定ですが、台湾からそのまま大阪へ戻るのは勿体ないので、
もしお声が掛かれば、沖縄や東京などの別の都市に寄って、
サットサンガやクラスが出来ればいいな~、と思っています。

4月からは、日本に少し腰を据えて、現行のZoomのクラスを再開し、
さらに、火曜日~金曜日の朝6時半からは、
ギーターの勉強会を最初からまた始めようと思っています。
(現行のギーターもそのまま続けます。)

6月には、コインバトールのアシュラムのお寺の改装式典(クンバービシェーカ)に出る予定。
8月あたりにも、コインバトールで2週間くらいのリトリートが出来れば、と思っています。
(アシュラムへの問い合わせはご遠慮ください。)

私の一番の願いは、インド人にこそ、ちゃんとサンスクリット語を勉強してもらうことです。
若者からお年寄りまで、 インド人達に、世界に誇れるインドの文化を見直してもらえるよう、
インド全国でインスパイヤ出来る活動も、一生かけて積極的にしていくつもりです。

ドバイ、ロンドン、セーラースブルグ等にも2018年のうちに訪問し、
世界中でサンスクリット語をいっぱい教えられたら、と思っています。

2018年2月南インドにての日本語キャンプのお知らせ

こちらのテンプルのガナパティ
来年の2月18日~24日の一週間、こちら南インドのグルクラムにて、
日本語でのヴェーダーンタ、サンスクリット、チャンティングの
リトリートを予定しています。

日々のスケジュールは、3年半コースとほぼ同じで、
早朝のプージャーから始まり、瞑想、ヴェーダーンタ(2クラス。テキストは後日決定します)、チャンティング、サンスクリット語文法、セーヴァー、夕方のプージャー、サットサンガ、と盛りだくさんです。

初心者から長年勉強して来られた方まで、知りたいという思いがあり、全クラスに参加できる人なら、どなたでもWelcomeです。

ヴェーダーンタのテキストや、チャンティング、サンスクリット語文法の内容は、参加者の過去の勉強の経歴を参考にしながら、一番良いと思われるものを、後日決定します。

ご興味のある方は、直接私にメッセージしてください。(ページの一番下にフォームがあります。)
詳細を追ってお知らせします。

*グルクラムへの直接のお問い合わせは混乱を招くので、絶対にご遠慮ください。


2017年9月12日火曜日

デーヴァナーガリーでの鼻音の書き方

聖なる女神、「ガンガー(gaṅgā)」をデーヴァナーガリーで書く時、、、

「ン」 の次にくる音が「ガ」という、喉から出す、いわゆるカ行の音なので、

「ン」 の音も、喉から出す鼻音、「ङ् [ṅ]」となります。


ग [ga] + ङ् [ṅ] + गा [gā]


これらの音を、続けて書くと、、、
ङ् [ṅ] と गा [gā] を縦に重ねても良いし、


ङ् [ṅ] + गा [gā] を横に並べても良し。


どちらにするかは、フォントとか、空いてるスペースとかによって適当。
なんでもそうですが、読めればOKです。
日本語や中国語のお習字のような、細かい決まりは忘れてください。

しかし、 ङ् [ṅ] を、点に代えてしまうのは、
ヒンディー語ではよく見かけますが、サンスクリット語ではNG!OUT!です。
 लघुसिद्धान्तकौमुदी という全部サンスクリット語の、パーニニの入門書でも、
点(アヌッスヴァーラ)を使って、ガンガーと書くのは、
「प्रामादिकः [prāmādikaḥ]」=注意力の欠落から来る間違い
と痛烈に批判されています。

しかし、スペースが限られている辞書などでは、鼻音の代わりに点(アヌッスヴァーラ)を使うことがあるので、そこなへんは、臨機応変に。

ちなみに、
ヒンディー語は、サンスクリット語が基となっていますが、
ヒンディー語を話す人たち本人らが認めている、「劣化した(degenerated)」言語です。
パキスタンからのウルドゥー語とも混じっていますしね。

ゆえに、ヒンディー語とサンスクリット語を同一視するのは、よろしくありません。
日本の大学でサンスクリット語を勉強してきた人が、
ヒンディー語に取り込まれたサンスクリット語を、「現代サンスクリット語」と、
堂々と言ってのけますが、私はそれを善しとして認めていません。
単に私の好き嫌いではなく、本場インドで伝統的なサンスクリット語を教えている立場にある私の意見として、です。

ちなみに、ガンガーの場合はダメでも、複合語の場合は、アヌッスヴァーラでもOKです。
例えば、「シャンカラ」は、
「शम्」(シャム、幸せ・吉兆) と「कर」(~を生み出す者)の複合語なので、
以下の全てがOKです。

 ではまた~。

2017年9月7日木曜日

広島での追加イベントが決定しました。

来年の1月10日と11日に、広島市内の5か所にて、祈りからヴェーダーンタのヴィジョンまでを紐解くお話しをしに伺います。
【日程】
◎「カルマとダルマ」 
  〜社会や家庭での役割&自分の感情との付き合い方〜
   2018年1年10日(水) 10:30~12:00 Manisha (マニーシャ)
        15:00~16:30 ギャラリーSORA
 ◎「祈りのことば」
  〜サンスクリット語でチャンティングしてみよう!〜
   2018年1年10日(水)18:30~20:00 MANOS GARDEN
        1月11日(木)10:30~12:00 広島ヨーガ療法センター

 ◎「ガネーシャについて&サットサンガ」
   〜障害を司る法則(デーヴァター・神さま)のお話〜
   2018年1月11日(木)15:00〜 インド料理スーリヤ

 また、広島市内ではさらに、
1月12日~14日は、太光寺さんにて、2.5日間のイベント、
1月16日~18日には、パーニニ・サンスクリット集中講座を予定しています。
 
パンフレットを添付しますので、ご興味のある方はご参照ください。

以下は、「祈りのある暮らし」のパンフレットからの抜粋です。
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祈りのある暮らし
日々の暮らしで知っておくと楽になるインドの宇宙観
〜 5つのお話会〜
インド悠久の伝統的な生活では、日々の生活におけるひとつひとつの行動の中に神々への祈りが織り込まれています。
そんなインドの宇宙観から、知っておくと日々の暮らしが楽になる
5つのお話会が開かれます。
日々の暮らしの中で、私たちは何を求め、何に祈るのか。
日常生活の中でしっくり反映できるように
祈りの言葉の意味にも理解を深めながら過ごしてゆきましょう。
みなさまどうぞお気軽にご参加くださいませ。
【日程】
 ◎「カルマとダルマ」 
  〜社会や家庭での役割&自分の感情との付き合い方〜
   2018年1年10日(水) 10:30~12:00 Manisha (マニーシャ)
        15:00~16:30 ギャラリーSORA
 ◎「祈りのことば」
  〜サンスクリット語でチャンティングしてみよう!〜
   2018年1年10日(水)18:30~20:00 MANOS GARDEN
        1月11日(木)10:30~12:00 広島ヨーガ療法センター
 ◎「ガネーシャについて&サットサンガ」
   〜障害を司る法則(デーヴァター・神さま)のお話〜
   2018年1月11日(木)15:00〜 インド料理スーリヤ
【会場】
Manisha (マニーシャ)   広島市中区鉄砲町 8-2 (2F)
ギャラリーSORA     広島市中区小町5-32 (2F)
MANOS GARDEN (マノスガーデン)  広島市西区西観音町11-7(2F)
広島ヨーガ療法センター  広島県安芸郡府中町大須1-19-19
インド料理スーリヤ   広島市西区庚午南2丁目37-14
【お問合せ先】   lovepeace8aco@icloud.com ( 岡田 )
           ※各会場へのお問合せはご遠慮くださいませ。
【ご参加いただく皆さまへ】
 全てのクラスは、伝統に従って、授業料や参加費を設定しておりません。お礼をしたい方は、ダクシナという形で最後に先生に渡すか、設置されているダクシナ用の箱に入れてください。
( ※なお、会場運営費は別となります。ご理解、ご了承くださいませ。)
ダクシナとは…
 インドの伝統において、ヴェーダやヴェーダンタの知識を教える事は、とても神聖なものと見なされています。その知識を受け取った生徒が、知識の伝承に対する尊敬と感謝を表す為に先生に渡すお金のことを、ダクシナと呼びます。
 ヴェーダの知識の教え継ぐという伝統において、ダクシナは重要な役割を持っています。このダクシナ制度によって、古来から現在までヴェーダの伝承は保たれてきました。
 先生達は、伝統を守るという理由だけで生徒に教えました。先生の先生も、その先生も、太古の昔からずっと、同じ理由でヴェーダの智慧は伝承されているのです。
 皆様からいただいたダクシナは、ヴェーダやヴェーダンタの知識を教え継ぐ為の費用(出版物を印刷し寄付する費用、先生達への謝礼、アシュラム運営の為の寄付等)、その他慈善事業をされている団体への寄付に充てています。
【講師】
MedhaMichika(メーダーミチカ)


2017年8月29日火曜日

サンスクリット語文法の先生として、この3年半を振り返り、、、

3年半前は、サンスクリット語の文字さえも書けなかった人たちに、
1年後にはシャンカラ・バーシヤをサンスクリット語の原文で、きちんと文法規則に沿って読めるようになってもらいました。
これは今回のコースの大きな強みであり、達成でした。

その後の2年半はパーニニ・スートラで、サンスクリット語の文法に関わるトピックを網羅できました。

ヴェーダーンタの文献を勉強を続け、さらに教えていくのに十分なたサンスクリット語の読解力とパーニニ文法の解析力を修得してもらったと思います。

早朝のテンプルから始まり、一日3コマもしくはそれ以上あるヴェーダーンタのクラス、チャンティングのクラス、サンスクリット語のクラス、いくらでもあるセーヴァー(仕事)、その合間に予習・復習、掃除・洗濯、と息つく間もなくびっしりで、かなりの体力と精神力が要求されるアシュラム・スケジュールの中で、本当に良くやってくれたと思います。


この数年で、サンスクリット語のデジタル・リソースは爆発的に増えましたが、ハードドライブにどれだけの情報を貯め込んでも、この頭の中で何かが起きなければ意味がありません。

自分の頭の中の思考回路を、シャンカラーチャーリヤ等の伝統の先生のものと同じ枠組みにしてくれるのが、パーニニ文法の勉強です。

これから世界中で、インド中で、サンスクリット文法教えられる先生を沢山輩出できたと思っています。

世界中に、そしてなによりインド中に、サンスクリット語の愉しみを分かち合える人々の輪が広がりますように!

文法クラス最終回

本日、3年半毎日教え続けたサンスクリット文法クラスの最終回を教え終え、
リシ達から多大な祝福を受け続けていることを、生徒達とささやかに祝い合いました。
全てに感謝です。

2017年8月24日木曜日

グリハ・プラヴェーシャ(新しい家に入る)・ホーマ(火の儀式)にお呼ばれしてきました。 

こちらの3年半コースの生徒のガナパティさん夫婦が新築祝いホーマ(火の儀式)を盛大に執り行い、グルクラムのサードゥ、教諭、そして生徒や職員まで、数十名を招待してくれました。


結婚生活の意味がいまひとつはっきりしない現代日本の価値観ですが、インドの伝統的な生活様式の中で、家庭人としての役割がどのようなものか、垣間見るだけでも、とても勉強になりますよ。結婚されている方、結婚する予定のある方は、ぜひ参考にしていただきたいです。



60歳以上の人が購入できる、高級分譲マンションの一室で、いきなり煉瓦を積み上げて火を焚いて、煙をモクモクさせるのが当たり前のインドの文化って、懐が深すぎますね。。


祭司の人達も、何千年も続くヴェーダの知識の伝承と宗教的清潔さにコミットした人生から生まれる、ブランミン特有の朗らかな光(ブランマ・ヴァルチャス、というやつですね)を放っていて、和気あいあいとサンスクリットのマントラが高らかに唱えられていました。その場にいているだけでも爽やかな気分になる、とても良い経験でした。


大きな敷地には、豪華な寺院、庭園、クラブハウス、室内プール、幾棟ものアパートメントと、ヴィラも分譲されていて、定年退職後もアクティブに社交生活を続けながらも、静かに聖典の勉強をしたり、瞑想やジャパをしたりして時間を過ごしましょう、といった価値観を持った人が集まっているようで、インドの文化的深さを感じました。こちらのグルクラムのスワミジ達も、こちらに毎週ヴェーダーンタを教えに来られています。

ヒンドゥーの文化は本当に、定年後から面白くなる人生設計を提唱してくれているなぁ、と思います。それをうまく使うかどうかは本人次第ですが。

2017年8月20日日曜日

続・「好きなことだけ」 人間らしさとは?

前回の投稿はFacebookにも載せたのですが、そちらで私が書いたコメントをここでも紹介しますね。

今の日本の社会の価値観では「やるべきこと」と言われていることが、決して本人の精神的な成長や社会の貢献に役立つものではないのだとしたら、そこに問題があると思います。

行動基準に「ダルマ」という価値観がなければ、「好きか嫌いか、そうじゃなければ意味が無いか」だけになってしまうということですね。

「ダルマ」とは、ヴェーダの文献を正しく勉強して知るべき価値観ですが、簡単に言うと、与えられた状況で、ものごとの在り方に沿った行動を選び取ることです。
自分が世界を見渡すとき、「今ここでこの世界に、自分が貢献できることは何か?」というものの見方で世界を見たとき、自分が取るべき行動は、おのずと分かり、おのずと決まります。「好き・嫌い」はその判断を狂わせることも出来ますし、するべき行動を後押しし、せざるべ行動を避けやすくすることもできます。
まずダルマありきで、「好き・嫌い」がダルマに沿っているならそれをうまく使えばいいし、ダルマに反していたら、その好き嫌いを乗り越えて、好き嫌いの奴隷になって振り回されて惨めな思いをしているちっぽけな自分を卒業して大きな人間になればいい。
ダルマが忘れ去れている社会では、「好き・嫌い」しか行動基準しかないので、「好きでもないことをやってるのが時間の浪費」となってしまうのだと思いますよ。


  まず、「何をするべきなのか」の判断に正しい思考が先にあるべきですね。「何でもやる」のところに、落とし穴があるように思います。
自分と他の幸福と成長の助けになるもの(ダルマ)なら、嫌でも我慢してやるべきだけれども、自分や他を傷つけたり破滅に向かわせる行為(アダルマ、ダルマの反対)なら、ノーと言って退去できる冷静で思いやりを持った判断力が必要ですね。


Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)は、これからさらに重要視されるべきものですね。
私の恩師、Dayananda Sarasvatiスワミジは、会社経営者を呼んで、ダルマについて教える機会も積極に持っておられました。株主を喜ばせるだけが経営者の仕事ではないけれども、じゃあ、何を基準に会社を成長させたらいいのか?基本的な価値観にはしっかりした軸が必要です。ダルマの国インドでは、首相や政治家、裁判官などが、スワミジのところにアドヴァイスやブレッシングを求めに来ていました。


形からだけにしても、CSRが、本当の人間の豊かさとは何かを問いかけるキーワードとして、これからどんどん注目され、充実していって欲しいです。 
 
現代の「先進国」が個人に押し付けている「するべきこと」を、我慢してやり通しても、資本家が潤うだけで、個人や社会や環境は疲弊していくだけ、、、という例が目について来たから、そこから抜け出すために、「好きなことだけ」に魅かれるトレンドが生まれたのではないか、と見ています。

ヴェーダは、「人間らしさ」を「ダルマに沿った行動の選択」と教えますが、そのような智慧の恩恵を受けられていない人々にとっては「人間らしさ」とは「好き・嫌いの実現」になっていしまっていますね。
ダルマというヴェーダの教えの基本がすっぽりと抜けてしまったままヨーガ・スートラを勉強している最近のヨガ界の風潮が、好きなことだけすればよい、といった薄っぺらいものになってしまっているのも残念です。

2017年8月17日木曜日

ヴェーダーンタの教えは、一部の特権階級だけに許されたものなのか?



答えから先に言うと、
ヴェーダーンタの教えは、時代や人種・階級・国籍・性別等では変わらない、
本質を教えているものなので、それらによって制限されるものではありません。
その人が、ヴェーダーンタの教えを知る必要性に気づく分別を持ち合わせ、
教えを聴いたときに理解出来る準備(アディカーリットヴァ)、つまり、
人間としての精神的な成長を遂げた心を持っていれば、
その人にとって、ヴェーダーンタを聴き、理解することを妨げるものはありません。

しかし、ヴェーダーンタは、ヴェーダの一部です。

ヴェーダのマントラを正式に学ぶためには、यज्ञोपवीत(ヤッグニョーパヴィータ、斜めがけの糸)を付けていなければいけません。यज्ञोपवीतを付けているということは、ウパナヤナという儀式を受けて、毎日ガーヤットリーをチャンティングして、サンディヤー・ヴァンダナをしているということです。さらに毎月のようにある特別な日に特別な祈りの儀式をして、つねに世界中の人々の幸せを願っているのです。(私達は彼らに感謝しなければなりません。)もちろん、肉食や飲酒など宗教的に不清潔とされる生活習慣などとは相容れません。
ウパナヤナの儀式をを受けられるのは、ブランミン、クシャットリヤ、ヴァイッシャの男子(昔は女子もOKだったそうです。)だけなので、ヴェーダ、そしてヴェーダーンタを原典から正式に学ぶことが出来る人は、おのずと限られてきますね。

しかし、ヴェーダーンタの教えは、ヴェーダだけではなく、同じ教えがギーターなどのスムルティの文献や、タットヴァ・ボーダなどのプラカラナ・グランタという、ヴェーダのような厳しい制限が必要の無い形で教えられています。
ギーター自身でも、女性もシュードラでも、ヴェーダーンタの教えを得られると言われています。(9.32)

私の恩師、ダヤーナンダ・サラッスヴァティは、यज्ञोपवीतをつけていない、つまり、女性や外国人にも教えているということで、今の時代でもあれこれいうブランミン達は居ることは居ます。
しかし、その教えが純粋な伝統に従っていることから、現存する伝統の最高権威であるシュリンゲーリのシャンカラーチャーリヤから、その伝統の教えを表彰された、唯一のヴェーダーンタのアーチャーリヤ(先生)でもあります。

ヴェーダーンタの教えは、人種や階級や時代などに左右されない、本質を教えていますから、聴きたい・知りたい・知らなければならない、と気づいた人なら、特権やお金が無くても、国籍や性別に関わりなく、誰でも聴けるようになっています。

そして、その人が精神的に成長していれば、つまりヴェーダーンタを理解するためのマインドが準備されているのなら、先述のギーターの言葉にもあるように、きちんと問題なく理解も出来ます。

しかし、聴く人が精神的に成長していなければ、ヴェーダーンタの教えはとても危険です。
それも、ギーター自身が教えています。
(न बुद्धिभेदं जनयेद् अज्ञानां कर्मसङ्गिनाम् । カルマに固執し、分別の無い人々の考えを混乱させてはなりません。3.26)
(इदं ते नातपस्काय नाभक्ताय कदाचन। न चाशुश्रूषवे वाच्यं न च मां योऽभ्यसूयति ॥
あなた(アルジュナ)へのこの教えは、タパスをしていない人、先生・デーヴァを持たない人、セーヴァーをしない人、私(クリシュナ)を単なる人間だと思っている人には教えてはなりません。18.67)

そして、カリユガだからか、ヴェーダーンタを伝統に沿った正しい先生から聴こうとしたり、サンスクリットを学ぶことの出来るマインドを持った人は、非常に少ないのが現実です。
お金も特権も要らず、誰でも聴けるようになっているのですが、それさえも知られていません。そんな情報をキャッチできるアンテナを持っている人が、ごく稀だからです。

今回の人生で、ヴェーダーンタの正しい教えに出会い、それを座って聴いていられるマインドを持っている人は、前世から今世までずっと、その為に必要なヴェーダの儀式も、ガーヤットリー・ジャパも、サンディヤー・ヴァンダナもして来た人です。
もし、今世でしていないなら、前世までにして来た、と捉えて良いでしょう。
ヴェーダーンタの教えを1時間座り続けて聴いていられる、というのが、何よりの証拠です。


そして、何がタパスなのか、デーヴァなのか、セーヴァーなのか、それらは教えてもらわなければ分かりません。それらが何なのか、特にダルマとは何なのかについては、直接ヴェーダーンタに繋がらなくても、聴く人の幸福を向上することは出来るので、より多くの人に知る機会を持ってもらうことは、伝統的な視点から見ても、推奨されるべきことです。

「好きなことだけしかしない」の裏にある日本社会の問題

「好きなことだけしかしない」というのが、日本で今流行っているキーワードだと聞きました。確かに、本の検索をするといっぱい出て来る!こちらにあるように。

「好きなこと『だけ』」 とわざわざ、「だけ」とあることから、
好きではないことは、それがしなくてはならないことでも、しなくてもいいことでも、
とにかく一切しない、という意味になりますね。
そういう意味は極端~!というなら、「だけ」という言葉は使わないはずです。
まず、ことばの定義をしっかり。


A:でもさ、「嫌いなこと」で、「しなくてもいいこと」だったら最初からしなければいいじゃん?

B:いやいや、「嫌いなこと」でも、「しないといけないこと、するべきこと」っていうのがあるからさ、それをしないで、好きなことだけして生きていくの!

A:でもさ、「しないといけないこと、するべきこと」だったら、それは好きでも嫌いでもしないといけないから、それが嫌いなら好きになることを学べばいいだけじゃん。(それが出来る人=成功する人だったりするわけで。)

B:「しないといけないこと」なんて、しなくてもいいんだよ!好きなことだけしておけば!

A:しなくてもいいんだったら、それは最初から、「しないといけないこと」とは呼べないでしょ?

しなくてもいいことを、「しないといけない」と思っていたり、しないといけないのに、「しなくてもいい」と思っているなら、それは混乱しているってことよね?(というか、それちょっとアホ。)好きとか嫌いとか関係ないし。
 
そもそも自分の中で、社会の中で、「するべきこと」と、「しなくてもいいこと」、さらに「しないほうがいいこと」が、ごっちゃになって混乱しきっているのが問題ってことに気づかなきゃね。

混乱した社会の価値観から一旦抜け出してみる手段として、自分の「好き・嫌い」基準は、一時的にはいいかもしれないけど、そこからもう一歩先に進めるようになって欲しい。

今自分がするべきだと思っていることが、本当に、するべきことなのかどうかの賢い分別をつけるために、歪んだ社会の価値観や混乱した既成概念から抜け出し、もっと根本的に人間として正しい価値観・価値基準を見つけられるようになって欲しいです。

ヴェーダの文化では、「するべきこと」とは、その人の精神的・人間的な成長に繋がる行為を指します。

例えば、わかり易いところなら、ヨーガ・スートラで教えられている「ヤマ・二ヤマ」に沿った生活とか。

でも、現代の日本ではそれは難しいから、「好き・嫌い」に頼るしかないんだろうな。。。

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